Jan 17, 2009
カスタム化は欠かせないHIDライト
新車を購入すると、カスタムパーツなどを装着して、デザインの変化を楽しんでみたくなるのではないでしょうか。そんな方にオススメしたいのが、HIDタイプのライトです。基本的についているライトとは異なり、光の色が青色を帯びたものになるので、夜間走行時にはとても美しく見えます。 HIDタイプのライトは値段も安くてため、いくつか試してみるのもいいでしょう。省電力への接続LED電球。寿命が長い利点がありますが、まだ価格は高い。そんなLEDから今年のクリスマスは、照明にLEDライトを使用しているという。 TVで、昨年と今年を比較すると全体的な明るさはやや暗くなった感じが異常に暗いというわけでもない。暖かいLEDの光で"今年のようだ"クリスマスになるだろう。
10年3月から休止している山川根占航路の運航業者に公募で選ばれた南九船舶(鹿児島市、今村勝博社長)はこのほど、九州新幹線の全線開業に合わせ、3月1日からの暫定運航開始を九州運輸局に届け出た。また指宿市、南大隅町、県と新たな運航協定を締結した。夏ごろに新造船を導入し、本格運航する見通し。
暫定運航は1日4往復で、現在、指宿−大根占間で運航する小型船「なんきゅう2」(19トン、12人乗り)を使う。指宿−大根占間は2月末で廃止する。
運航協定は同社が運航を担い、県が港湾施設を提供、指宿市と南大隅町は船着き場での観光案内など陸上業務を担う、との内容。行政の財政支援はない。期間は16年3月末まで。同社の新造船(約130トン)は約90人乗りで大型バス2台、乗用車5台を搬送できるという。
同航路は岩崎グループが運航していたが、客数減に加え、大型船(1478トン)のリース料や燃料などでコストがかさみ、赤字を理由に10年2月末、撤退。航路再開は全線開業効果を大隅半島に波及させるため課題となっていた。【福岡静哉】
2月7日朝刊
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今年度の県、高知市職員採用試験で初の点字合格者が出たことを記念した講演会が6日、高知市内のホテルであり、約50人が参加した。民間企業などで活躍する視覚障害者を講師に招き、「視覚障害者が能力を十分生かせる就労環境」について考えを深めた。
今年度の点字試験では、高知市の吉岡邦広さん(32)が3度目の挑戦で県職員採用試験に、高知市職員でも男性1人がそれぞれ合格。「県視覚障害者の就労を促進する会」が特別総会を兼ね、記念講演会を主催した。
講師の銀行員、岡田太丞さん(45)=兵庫県在住=は03年、赴任先のタイで見つかった脳腫瘍などの影響でほぼ全盲になり、5年後に復職した。東南アジアの人脈を駆使して「現地発」の企業情報を集め、国内外の行員に提供。当初、十数人だった購読者数は先月末現在で1500人を超えた。
「失明前は収益を上げる『フォワード』だった。今はゴールを決められるパスを出す」と、見いだした自身の役割について語った岡田さん。「微力は無力ではない。『0』ではなく『0・1』をたくさん積み重ねれば物事は動かせる。障害者でもちゃんと仕事はできる」と力を込めた。
もう一人の講師で、全盲の大阪市職員、岸本慶子さん(27)は「周りがどんな風に忙しいか分かりにくい時があるが、支援を頼む勇気を持つことが大事」と主張。気を使わず、できる仕事を任せてくれた先輩の存在に助けられた経験から「どんなに小さなことでも相談に乗ってくれる人、サポートしてくれる人がいれば仕事は楽になる」と話した。【千脇康平】
2月7日朝刊
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後ろ姿が寂しい父でした。南方戦線へ同時期に出征した3000人の中で唯一の生き残りだったと、次女の上久保和子さん(76)=埼玉県狭山市=は聞いています。
上久保さんは2カ月に1度、高知市内のグループホームに入所する母・佳代さん(97)の顔を見に帰郷します。昨秋、肌着が足りているか確かめようと、たんすの引き出しを開けたところ、衣類の下から黄ばんだ古い1冊のノートが出て来ます。表紙に「コロンバンガル島沖 遭難日記 杉本泉」。亡き父の懐かしい文字でした。
母は父の体験を「一切封じ」、ノートの存在も教えてくれませんでした。父の乗る船がことごとく轟沈(ごうちん)したことは聞いていましたが、このうち2回の遭難の詳細が各5ページに渡り記されています。
「いつ書いたのだろう」。遭難で負傷した父は1944(昭和19)年1月、大分・佐伯港に復員し、県外の複数の病院に入院しました。岡山陸軍病院では1週間幽閉され、戦中の体験は「身内にも一切語るべからず」。約50ページのノートの大半は、寸劇の脚本や軍歌の歌詞などで占められています。上久保さんは「余興は遭難記のカムフラージュではないか」と推測します。
岡豊村(現・南国市)でコメ農家だった杉本さん(当時35歳)は、42年12月に松山市の陸軍松山連隊へ。妻と上久保さんら3人の娘を残し、南太平洋ソロモン海のニュージョージア島へ出征します。船酔い覚ましに甲板で夜空を見上げていた時、船は魚雷に直撃され、瞬く間に沈没しました。
日本軍の暗号は米軍に解読され、何時に何隻がどこを通るか筒抜けだったようです。甲板にいて即死を免れた杉本さんは、からくも島に泳ぎ着きました。治療のため今度は病院船に乗りますが、ニューブリテン島のラバウルを出港直後に再び撃沈されます。見送った同郷の2人から実家へ連絡がありました。「杉本は戦死した」。母娘は手を取って泣きました。
しかし、杉本さんは不死身でした。別の島の海岸へ意識不明になって打ち上げられていたのです。ふと気付くと、自分の顔を眺める人がいます。現地の若い女性です。パパイアの汁を水代わりに飲ませてくれ、日本兵がいる方向へジャングルを歩いて案内してくれます。山中、煙を上げている日本軍の一式陸攻機を目にします。「今墜落したところ」。搭乗者は山本五十六・連合艦隊司令長官と聞かされました。この情報が確かなら43年4月18日、ブーゲンビル島での出来事です。長官の戦死は1カ月以上秘匿されました。
約4カ月後。ここからは、口止めされても書き残さずにはいられなかったノートをひもときます。
●「コロンバンガル(コロンバンガラ)島沖 遭難日記」より
杉本さんは8月4日夜、重機関銃小隊長として駆逐艦「カワ風号」に乗り、ラバウルを出港。6日夜、南東約700キロのニュージョージア島へ到着しましたが、大スコールに遭い、待機中のことです。午後9時50分、「敵魚雷ノ命中ヲ受ケル。之ヲ甲板上ヨリ目撃ス。同時ニ艦砲撃ノ集中弾ヲ受ケ 舟ハ真中ヨリ二ツニ切レ 前半分ハ沈ム」。救命胴衣を着て、海に飛び込みました。【高知支局長・大澤重人】
※<中>はあす掲載予定です。アメリカ生まれのtpp検索
2月7日朝刊
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