Aug 04, 2011
見た目も心もアンチエイジング
最近、関心が高いことの一つがアンチエイジングです。女性だけでなく男性にも関心が高まっています。アンチエイジングというと肌がきれいで、見た目が若く見えるのだと考えられているが、実は奥深い言葉です。外見だけでなく内面、ライフスタイル、生活の底辺が拡大しています。素敵な充実した人生を送るためにもアンチエイジングに注意してみてはいかがでしょうか。光を利用して肌トラブルを改善するフォトフェイシャルでは赤ら顔の改善も可能です。赤ら顔は、顔の毛細血管がうっ血し、鼻の周りや、額がほんのり赤い状態です。スルハムグァラゴドイトオ30代から40代に症状が発生する場合が多い問題として放置しておく場合は、ファンデーションも隠すことは困難です。フォトフェイシャルをすると、赤色を向上させることができます。
東日本大震災で甚大な津波被害を受けた宮城県東松島市で、全国唯一の防災専門学科がある県立舞子高校(神戸市垂水区)の生徒38人が、民家の後片づけなどのボランティア活動をしている。1週間交代で、来月初めまで約160人が参加。被災地の子どもたちとの交流も予定し、阪神大震災(95年)の経験などを分かち合う。
兵庫県教委の地域貢献事業の一環。7日深夜に宮城県松島町に到着、8日早朝から災害ボランティアセンターの調整で六つの班に分かれ、仮設住宅建設など復興のつち音が響く地域で汗を流した。
海岸線から約2キロの東松島市大曲の会社員、廣瀬勝志さん(39)の自宅は1メートル余り浸水し、木造2階建ての1階の居間や食堂、台所などの軒下に数十センチの泥が積もる。生徒たちはスコップなどですくい上げ、土のうに入れた。消防士を目指す同校環境防災科3年、谷勇也さん(17)は「一緒に作業した子どもが笑顔でお菓子を差し入れてくれて元気をもらった。これからも何度も被災地に来て、津波被害を神戸の人たちに伝えたい」と話した。
震災発生約2カ月の今も親類宅で避難生活が続く廣瀬さんの母昭子さん(64)は「片づける家がある私たちはまだ幸せ。若い力に生活再建の道筋が見えた」。小学生の子ども2人を連れて作業した廣瀬さんの妹高橋みゆきさん(37)は「連休中、夫が道路復旧工事で休みがなかったので本当に助かる。阪神大震災当時は幼かった高校生がボランティアに励む姿に、自分の子どもたちもたくさん学ぶことがある」と話した。【中尾卓英】
〔神戸版〕
5月10日朝刊
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◇困窮、後世に伝えたい
東日本大震災で被災し、宮城県多賀城市から神戸市垂水区に避難している佐藤三男さん(78)が、避難生活の様子を日記に書き残している。「東北関東大震災避難体験」と題し、チラシの裏につづった日記からは、住み慣れた土地を離れて暮らす苦難が伝わってくる。佐藤さんは「私たち被災者の労苦を後世に伝えられたら」とペンを握る。【村上正】
3月11日 大地震発生。食器棚、横転。内部散在、テレビは倒れる。一部の(マンションの)人は駐車場に飛び出していた。20分くらい余震が続くありさま−−。6時30分。体育館に避難を決意。数百人がすでに避難していた。夕食は乾パン五つ。子どもも「これしかないよ」と言っていた。8時40分。(寒さで)限界とみて、知人夫婦に依頼し、寄せてもらう。
自宅マンション(6階建て)は鉄骨がむき出しになったうえ、停電でエレベーターが動かず、5階に住んでいた佐藤さん夫婦は階段を上り下りするのも苦労した。震災当夜、体育館に避難するが、夫婦に与えられたのは毛布1枚。寒さをしのぐことができず深夜に知人宅に寄せてもらった。それも1日だけで、家財道具が散乱する自宅に再び戻り、寝るスペースだけを確保して生活した。
妻成子さん(75)は、すい臓がんを患っていた。自宅から通院したが、街は混乱し、スーパーで食料を買い求めても「あめ玉1人五つまで」だった。長蛇の列に並ぶ佐藤さんを成子さんは待ちきれず、1人で自宅に戻ることもあった。
数日後、様子を見に来た長男から「ここでは住めない。避難しよう」と言われ、地元を離れる決意をした。2週間後、成子さんは治療のため神戸市東灘区の長女宅に身を寄せ、佐藤さんは同市垂水区の市営住宅で一人暮らしを始めた。そんな時、自宅に届いていたチラシの裏に思い出すように日記を書き始めた。「書き留めておかないと、いつか忘れてしまう。震災でどういう行動を取ったか覚えておきたかった」
3月27日 区役所で鍵をもらった。丈夫でないので心配。全然暮らしたことのない所に連れてこられた。東西南北も分からない。東北に財産を置きっぱなしにしている。帰りたいけどお金もない。(家族に)反対される。年齢的に無理と。向かいのパン屋でカップめんとパンを買って食べた。
新しい生活に不安が募る。初めての神戸での暮らしで友人もいない。入居当日に団地の階段で足を滑らせ左足の指も骨折した。妻とは週に何度か電話をして互いの健康を気遣うが、まだ一度も再会を果たしていない。
4月3日 衣食に困る。着替えも持ってきていない。暑くなれば夜も眠れないだろう。掃除のほうきもない。ご飯は水加減が分からず、おもちみたいなご飯になってしまった。失敗。
不慣れな家事で失敗続きだったが、現在は週2回ホームヘルパーの訪問を受け、団地住民の支援で生活用品も整った。少しずつ、神戸の一人暮らしに慣れてきた。
気がかりなのは多賀城市の自宅マンションだ。再建されるのか補修だけで済むのか。しかし、同市の情報は全く入って来ない。「いつかは地元に帰りたい。日記は地元の資料になれば」。故郷を思い、避難体験日記は続けていくつもりだ。
〔神戸版〕
5月10日朝刊
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