Jul 11, 2009

卒業旅行の思い出に

卒業旅行といえば、大学や専門学校等の卒業記念に行くことが多いと思う。その時の仲間がなければ行くことができない。男同士でも、思い出として十分に価値があるのではないかと思う。数学とは異なり、また面白いと思う。一生の思い出の一ページへの卒業旅行がある人は、これからも話題が一つ多くなるというのだ。
国内旅行をしたいと思います。今一番行きたいのは、香川県のさぬき。讃岐うどんを食べ歩く旅をしてみたいと思います。ローカルの町を歩きながら、ローカルの製麺牛を聞いて、美味しいうどんをさせていただきます。もしかしたら、どこで食べてもほとんど味は変わらないかもしれません。しかし、もし、良いおいしい讃岐うどんを作る人に会うかもしれません。国内旅行の楽しみは思いがけない人との出会いにあると思います。讃岐、行ってみたいです。
 ◇津波被害で新たに発行、両方の卒業証書授与
 東日本大震災の大津波で被災し卒業証書の授与ができなかった石巻市北上町十三浜の市立相川小学校は31日午後1時半から、近隣の同市立北上中学校体育館を借りて今春の卒業生10人の卒業式を行う。新たに発行したきれいな卒業証書とともに、津波をかぶり泥まみれになった卒業証書の両方を授与し、困難にめげない人生行路の糧にしてもらう。
 相川小は3月18日に卒業式を行う予定だったが、大津波で3階建て校舎が損壊し、避難の混乱の中で卒業式は実施できなかった。当時の片倉誠之助校長らが避難先を訪れ、卒業生と在校生に励ましの言葉を贈るのが精いっぱいだった。校長室に保管していた卒業証書は津波に流された。
 その後、がれきの中からビニール袋にまとめて入れていた卒業証書が見つかり、保護者から「本格的な卒業式を」との要望が寄せられた。このため今月31日に卒業式を行う北上中側の快諾を得て、約4カ月半ぶりに卒業式が行われることになった。片倉前校長が式辞を述べる予定。
 相川小の当時の児童数は72人。大多数の児童は避難訓練通り裏山に避難し、自宅で行方不明になった1年生1人を除いて無事だった。佐藤克己教頭は「卒業生は下級生をかばいながら避難し一晩、下級生を励まし続けた。卒業生の元気な顔を改めて見たい」と話した。相川小は現在、同市立橋浦小の校舎を借りている。【小原博人】

7月27日朝刊

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 ◇3−1で利府破る
 第93回全国高校野球選手権宮城大会(県高野連など主催)は26日、仙台市宮城野区のクリネックススタジアム宮城(Kスタ宮城)で9年ぶりとなる公立校対決の決勝を行い、古川工が3−1で利府を破り初優勝を果たした。春夏通じて初の甲子園出場。古川工は六回表に3連続安打で先制。利府は1点を奪い返して同点に追いついたが、再び古川工が七、八回に追加点を重ねて突き放し、エースの山田大貴投手(3年)も被安打6に抑えて完投した。全国大会は8月3日に組み合わせ抽選を行い、同月6日に阪神甲子園球場(兵庫県西宮市)で開幕する。【三村泰揮、岸本悠、須藤唯哉】
 ◇利府に痛いミス
古川工 000001110=3
利府  000001000=1
 古川工がエース山田の力投で、09年センバツ4強の利府に競り勝った。古川工は六回2死一、三塁から佐藤佑の適時打で先制。その裏に追いつかれるも、七回に只埜(ただの)の左前適時打で再び突き放した。八回には高橋の右前打が相手のミスを誘い、貴重な追加点を奪取。利府は2点を追う九回無死一塁が岡崎が右翼に痛烈なライナーを放つが、畠が見事なダイビングキャッチを見せ万事休す。最後は山田が三振で締めくくり、古川工が、悲願の初優勝をつかみとった。
 ◇大会優秀選手
 山田大貴投手(古川工)▽加藤駿投手(利府)▽上村健人投手(東北)▽菅田直幸三塁手(仙台商)
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 ■一瞬の夏
 ◇悔いなし最後の夏−−利府・加藤駿投手(3年)
 168センチ、62キロの小さなエース。左腕から変化球を繰り出し、04年以来7年ぶりの夏の宮城大会決勝進出までチームを引っ張った。今大会、全7試合中6試合で先発し、準々決勝ではシード校の東陵を相手に完投。1年時から女房役を務める浅野達朗主将(3年)は「疲れていても気持ちで押すタイプ」と全幅の信頼を置く。
 古川工には昨秋の県大会準々決勝で敗れている。因縁の相手だった。六回表2死一、三塁、3球目の直球が甘く入り、先制点を奪われた。七回途中でマウンドを降りたが、小原仁史監督は「よく投げた。疲れもあったはず。もう少し楽をさせてあげたかった」と、全力を出し切ったエースをたたえた。
 仙台市宮城野区の自宅は津波に襲われた。全壊認定を受けた。「家の形は残ったけど、中はぐちゃぐちゃ」だった自宅の玄関で震災翌日、奇跡的にグラブを見つけた。
 チームは約1カ月間練習ができなかった。「再開できるのかな」と不安がよぎったが、「体がなまらないように」と学校の周囲を走った。「野球を頑張れ」と背中を押してくれた両親にプレーしている姿を見せたかった。
 試合終了後、球場の外で選手全員が並び、赤い目で応援の保護者に感謝を伝えた。「父と母に甲子園行きをプレゼントしたかった」。それでも「この仲間と一緒に野球ができてよかった」と心から思う。最後の夏に悔いはない。【須藤唯哉】

7月27日朝刊

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