Nov 20, 2009
コスプレ大会を開催しています。
我が家の近くに漫画を好きにはたまらない施設があります。それはまた楽しいゴトイプニダガ施設になってからは家の近くにコスプレをした人が多く出没するようになりました。最初は楽しんでいたが、最近はそうも言ってすることはできません。なぜか、それは月に一度のコスプレ大会が開催されるようになったからです。開催日には100人以上がコスプレをしてきます。その異様なというと、また凄いことです。どれもそこそこは大事ですね。12月のサンタクロースの時期。お願いするプレゼント、それは家族みんなで楽しくクリスマスツリーを囲んでケーキを食べたい。クリスマスの家族はバラバラでお互いに送る。バラバラで送っても家族が良ければそれで良い。入院大手術予定の家族がいる。お願いするプレゼントは、手術の成功、楽しいクリスマスにしよう。
細野豪志首相補佐官は16日午前のBS朝日の番組で、東京電力福島第一原子力発電所の事故発生直後の状況について、「どん底までいった。ほとんど制御不能のところまでいった」と述べ、一時、かなり危機的な事態に陥っていたことを明らかにした。
その上で、「少しずつだが、コントロールできるようになった。冷却機能の回復という大きな壁を乗り越えないといけない」と強調した。
「この家と土地はお前にやっから」。東日本大震災で犠牲になった岩手県宮古市田老地区の新屋勝子さん(68)。震災から24日後に見つかった遺体の両腕に抱きしめられていたかばんには息子に引き継ごうとしていた家と土地の登記書類が入っていた。息子の政治さん(42)は母が残してくれた田老の地での再起を誓っている。
3月11日のあの時、自動車板金工の政治さんは宮古市内で働いていた。「いつもと違う揺れ」が収まった後、自宅に電話をかけた。洗濯中だったという勝子さんに「落ち着いてな、じゃあな」とだけ言って切った。これが母との最後の会話になってしまった。
田老地区は1896(明治29)年と1933(昭和8)年の三陸沖地震で町が津波で甚大な被害を受けた。住民は「地震の後は裏山に逃げろ」と意識している。政治さんは両親も避難したと思っていた。母の遺体が見つかったのは裏山の避難所まであと200メートル。父昇さん(75)とともに戸締まりをして避難所に向かっていたという。父の行方はまだ分からない。「あと2分あれば助かっていたのに」
勝子さんが抱えていた青いかばんは避難用として日ごろから寝室に用意していたものだった。財布、懐中電灯に加え、家と土地の登記書類が入っていた。政治さんは昨年、母から突然言われた言葉を思い出した。「この家と土地はお前にやっから。墓守はお前だからな」
笑顔の絶えない母だった。自宅はいつも近所の主婦らのたまり場。「元気なかあさんだった。寿命まで生きると思っていたのに……」。こんな日を予感していたのか。火葬場で点火スイッチを押すと、こらえていた涙があふれてきた。
今は親族宅に身を寄せながら宮古市街地でアパートを探している。だが、いつか必ず田老に戻るつもりだ。両親と過ごした家があった場所。「ここで絶対、立ち直ります」【三木陽介】
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大震災の津波で校舎1階が水没した宮城県石巻市の市立湊第二小(中村たみ子校長)の卒業式が16日、隣接する市立湊中で約1カ月遅れであった。津波で浸水し、しわになった卒業証書が見つかり、児童に手渡された。
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卒業証書を保管していた金庫が津波による土砂で埋没し、証書の準備ができずに式を延期していた。今月7日に金庫が見つかり、水や泥で汚れたものの全員の証書が破れずに残っていた。石巻市内の小中学校は21日が入学式と始業式で、「新学期前に渡したい」と急きょ卒業式を開いた。
式には35人の児童が出席し、3月末で退職した遠藤俊子・前校長(59)が卒業証書を手渡し「私たちは3月11日から命の尊さを学んでいる。その思いを大切に強く生きていってほしい」と励ました。児童代表の大野未智さん(12)は「地震や津波に負けず、花を咲かせ始めた学校の桜のように前を向いて前進していきます」と答辞を述べた。同小児童の約4割の自宅が津波に流されるなどの被害に遭い、市外に転校予定という。【高橋克哉】
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岩手、宮城両県にある障害者の「グループホーム」「ケアホーム」のうち、少なくとも32施設が震災で使用できないことが両県への取材でわかった。いずれも障害者が「施設」でなく地域の中で暮らすための場で、関係者は「一日も早く再開できるよう支援してほしい」と訴えている。
グループホームでは家事などの支援を受けながら、障害者が自分たちで共同生活を送っている。ケアホームはこれに生活支援員というスタッフが付き、食事や入浴介助などの支援も受けられる。
岩手県によると、震災で県内の計13施設が被災し、うち陸前高田市では市内にある6カ所すべてのケアホームが全滅した。暮らしていた知的障害者28人は全員無事だったが、別の障害者向け施設に避難したり、実家に帰省したりして過ごしている。
被災したケアホームで暮らしながらクリーニングの仕事をしていた40代女性は別の障害者施設で避難生活を送るが「早く自分の部屋に戻って、仕事をしたい」と漏らす。
支援スタッフの菅野志保さん(27)も「日中何もできることがなく、避難している施設内でも行き場がない。生活のリズムを失っており、早く居場所を作ってほしい」と訴えている。
また、宮城県によると、同県内のグループホーム、ケアホーム335施設のうち全壊や使用不能が計26施設に上る。福島県内でも8施設が被災し、いずれも被害は軽微とみられるが、福島第1原発事故の影響で一部の利用者が避難生活をしているという。
新潟県中越地震(04年)では仮設住宅をグループホームに活用するケースがあった。ただ「日本グループホーム学会」事務局長の室津滋樹さんは「仮設住宅には障害者や高齢者向けの優先枠が設定されているが、一角にまとめてしまうと孤立を招く。仮設住宅でもコミュニティーを形成できるよう、計画的に建設していくべきだ」と指摘している。【蒔田備憲】
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